※この短編は電撃文庫MAGAZINE 2019年8月号掲載の前半を抜粋したものです。
その日の深夜、ロレンスは肌寒さからふと目を覚ました。寝ぼけ眼に毛布を肩まで引き上げつつ、物足りずに毛布の下をまさぐった。
そこにあるのは毛布とは全く質の違う、ふわふわの毛皮である。しかも血の通ったれっきとした生きた毛皮であり、その持ち主をまとめて両腕の中に収めれば完璧な温かさだった。少々寝相が悪いのが玉に瑕だが、頭突きでもされない限り、真冬でも朝まで安眠していられる。
しかし、ロレンスが暗闇の中でどれだけまさぐっても、毛布の中に探すものは見つからなかった。外に水でも飲みに行ったのか? と薄目を開けて、ようやく気がつく。
ホロは三日前の夜から出かけているのだった。
そのことを思い出したロレンスは、行き場のなくなった手を胸の上に置く。天井では木窓の隙間から差し込む月明かりが獣の爪痕のように光っていて、夜明けがまだまだ先であることを示していた。
手で顔をこすり、小さくため息をつく。
最初の夜は気楽だった。
ニョッヒラの湯屋から旅に出て以来、旅の開放感のせいか、それとも娘の前で大人のふりをする必要がなくなったせいか、ホロの酒量は着実に増え、寝る前にあれこれ世話を焼く必要がしょっちゅうあったのだ。もちろんそれはロレンスにとって嫌なことではないし、多分ホロは半分くらい酔ったふりをして、世話を焼いてもらうのを楽しんでいたのだが、大変なことには違いなかった。
それゆえにロレンスは、久しぶりに静かな落ち着いた夜を安堵のため息とともに満喫した。
二日目の夜は、やや手持ち無沙汰だった。ロレンスが寝泊まりするのはヴァラン司教領と呼ばれる土地にある大聖堂の宿舎だが、そこの留守を預かるエルサは夜の長い時間を酒と雑談に費やすような性格ではない。日が暮れる前に質素な夕食を食べ終わり、その後は長い祈りを神に向かってささげ、蝋燭がもったいないと寝てしまう。眠りの前の一言は、明日も平穏でありますように、というところだろう。
ホロは全く正反対で、惜しむのは機会と時間だった。今日はたくさん旅をしたから労いにたくさん飲もう、今日は何事もなかったからたくさん飲もう、それから、今日一日が終わるのがもったいないからまだ蝋燭の火を消すでない。
酔いに任せて眠りこむ前には、明日の朝飯の献立をつぶやいていることも少なくない。
そんなホロと過ごす夜が当たり前だったので、あまりに早く寝床に追いやられると、なにかやり残したことがあるような気がして落ち着かなかった。仕方なく酒を取り出してみたものの、一人で飲んでも味気なく、諦めたロレンスは早めに床に就くほかなかった。
三日目の夜は、山からターニャがやって来た。ヴァラン司教領に語り継がれていた呪われた山の天使の伝説では、重要な役割を担っていた栗鼠の化身である。ロレンスが呪われた山に残された秘密と錬金術師の謎を解いたのは数日前のことで、以来、ターニャがロレンスを見る目はきらきら輝いていて、ロレンスとしてはちょっと面映ゆい。
そのターニャがここ数日熱中しているのは、呪われた山と呼ばれていたかつての鉄鉱山を、木材の切り出しと炭焼きの拠点とすることだった。ホロが三日前から出かけているのもその件で、旧知の間柄であるデバウ商会へと山の売却を持ちかける手紙を届けている。鉄鉱山として山を再開発すればまたぞろ禿山になってしまうので、木材と炭焼きの供給地として買い取ってもらえないかという話だった。長い年月にわたって禿山に緑を育んできたターニャとしては、山を緑豊かに維持したまま、最大限儲かるようにする使命に燃えているのだ。
そういうわけで、ターニャはどんな種類の木にしたらいいかとか、どれくらい育った木が高く売れるのかとか、非常に熱心にロレンスへと教えを乞うてきた。栗鼠の姿をとっているときは蹴鞠のように丸々としたターニャは、見た目どおりにちょっと抜けたところのあるおっとりした娘だが、その分粘り強さとひたむきさがある。しかも、ロレンスのことを英雄視しているのだから、教える側としてはついほだされてしまう。
どれだけ教えても貨幣の種類を覚えず、頭はいいのに飽きっぽいところがあり、最も楽しそうな顔をするのはロレンスに意地悪な甘噛みをしているとき、というホロとはだいぶ違う。ましてやその血を色濃く受け継いで、さらに若々しいお転婆さを加えた娘のミューリと比べると……とロレンスはややため息をつきつつ、熱心なターニャの相談に乗ってやっていた。
司教領の財産に関わることなので、エルサも交えて三日目の夜は久しぶりに遅くまで起きていたが、すべてを終えて部屋に戻ると、沈黙と暗闇がずいぶん重く感じられた。こういう感覚は、行商人をしていた時分以来だった。たまたま訪れた先の村で祭りに参加して盛り上がったのち、自分だけが明日に備えて誰もいない旅籠の部屋に戻った時と同じ感覚だ。
そして、四日目である。
日中は、一晩泊まったターニャと山の植林計画を練って過ごしていたが、ターニャは日暮れとともに大好きな山に戻り、エルサはいつものように早々に寝てしまった。残されたロレンスは味気ないと思いつつ、酒を引っ張り出さずにはいられなかった。少し多めに注いで一口飲み、腸詰をかじるとさらに飲んだ。話す相手もいないのでその繰り返しは早く、たちまち酔いが回ったところで、疾走する馬の背から飛び降りるように毛布にもぐりこんだ。
しかし、酒の力を借りてもなお眠りはなかなか訪れず、輾転反側してようやく眠りに落ちたと思ったのもつかの間、酔いが醒めると共に肌寒さで起きてしまい、今に至る。
ロレンスは認めざるを得なかった。
寂しかったのだ。
ホロがいなかった頃の生活などもう思いだせないし、冬でもないのに毛布の中が冷たすぎた。
デバウ商会は確かに遠いが、ホロの足ならばすぐのはずで、ホロに限っては道に迷うとか事故にあうとか、野盗に襲われるなんて可能性はほぼあり得ない。
となると、考えられるのはデバウ商会で山の売却について揉めているか、もっとありそうな話としては、景気の良いデバウ商会の本店で歓待を受け、ずるずると長居をしていることだ。
酒と肉とで楽しげにしている様が容易に想像できる。
ホロが楽しく過ごしていればそれに勝ることはないと思いつつ、留守番をしているロレンスは一人で冷たい夜を過ごしている。その現状にふつふつと湧き起こるものがあった。
ベッドの上で大きなため息をついて、寝るのはあきらめて体を起こす。木窓の隙間から差し込む月明かりを頼りに視線を巡らせれば、机の上に置かれている分厚い紙束が目に入る。
ベッドから降りてそれに手を伸ばし、最初の数頁をめくってみると、独特の、お世辞にも上手とは言えない文字で、日々の出来事が記されていた。
曰く、朝食べたパンが固かった。昼の麦粥に肉が少なかった。夜の葡萄酒がすっぱかった。
「食べ物ばっかりだな」
ロレンスは苦笑しながらつぶやき、ホロの記した日記を読んでいく。取るに足らないことが山ほど列挙されているが、それは普通に暮らしていたら簡単に忘れてしまう日々の記憶だし、こうして記されていると結構思い出すものだと驚いた。
ロレンスは立ったまま日記をめぐり、やがてため息をついてから、その文字を撫でた。
これは長い時を生きるホロが、やがて来るロレンスとの別離のために用意した薬だった。
その意味をもちろん、ロレンスは重々わかっていたつもりだが、自分が一人部屋に残されてみて初めて、ホロがなにと戦わなければならないのか、実感を伴って理解できた気がする。
自分はホロと数日離れただけでこうなのだ。しかもそう遠くないうちに、必ず戻ってくると確信できているというのに。
ではこれが、もう二度と会うことのできない、永遠の別れだとしたら?
ロレンスはゆっくりと深呼吸をして、頭を振る。それは想像すらできない苦しみだろうと思った。ホロに待ち受けているのは、そういうことだったのだ。
自分にできることは限られているが、せめてこの日記がさらに分厚くなるようにしよう。日々のわがままは可能な限り……と思いつつ、いや、と思い直す。
なぜなら、ロレンスがホロの尻尾を追いかけるように日記の文字を追っていると、そこにあるのはあれだけ世話を焼いているというのに、ロレンスがあれを買ってくれなかった、これをしてくれなかった、気が利かない、いびきがうるさい、などという文句ばかりだったからだ。
「エルサさんに言われたように、甘やかしすぎた気がするな……」
ロレンスは頁をぱらぱらとめくり、最新の日記、つまりホロが出立する夜に書いていた部分を見る。そこには、きっと美味い酒が山ほどあるに違いない、と書かれていた。
再び、帰りが遅いホロへの疑念が頭をもたげてくる。
デバウ商会は北の地を支配する大商会で、物流の多くを支配している。さぞうまいものが目白押しだろうと期待するのは間違いではないし、ホロが手紙を届ける労は労われるべき。
しかしひとりで味気ない酒をすするロレンスには、なにか不公平な気がする。
自分の居ないところでホロが楽しげにしている様を想像し、ロレンスがふてくされているところだった。
「?」
ふと、木窓の外の月明かりが陰った。
月に雲がかかったにしては、別の木窓からは月明りが差し込んでいる。
なんだろうかと思って木窓を開け、悲鳴を上げなかったのは、ロレンスの肝が据わっていたからではない。あまりにも現実離れした光景だったからだ。
『なんじゃ、こんな夜更けに起きておるとは。寂しくて眠れぬのかや?』
月明りに照らされて、巨大な狼が意地悪く笑っていた。
部屋は宿舎の二階にあるが、狼のホロの鼻先がちょうど木窓のあたりにある。
これは夢だろうか、とロレンスが言葉もなく立ち尽くしていると、ホロは大きな尻尾を右に左にと振ってから、鼻先を木窓の枠の中に突っ込んできた。
そして、すんすんと鼻を鳴らし、今度は大きな目玉をぎょろりと木窓の枠に押し付けてくる。
『ずいぶんあの栗鼠と仲良くなったようじゃのう?』
ロレンスの腕では抱えきれそうにないほど大きな目玉が、ロレンスのことを睨みつけている。
獲物のどんな挙動も見逃さないホロの赤い目と、どんな嘘も聞き逃さない狼の耳。
夢にしたってホロと出会えたことが嬉しくて、顔が勝手に笑いそうになるのを堪えたロレンスは、大きめに息を吸ってから答えた。
「山のこれからのことを、話し合う必要があってな」
『それにしてはこんなに臭いがつくほど近づくとは、どういう料簡じゃ?』
ターニャはおっとりして、人懐っこい性格で、どこか厭世的な雰囲気のホロとはだいぶ違う。
距離が近かったことは否めないが、ホロに不貞を疑われるいわれはない。
第一、ロレンスにも言いたいことがあった。
「そんなに獲物のことが心配なら、もう少し早く帰ってきたらどうだ?」
反撃されるのが意外だったのか、ホロは目をぱちくりとさせてから、鼻の頭にしわを寄せた。
『たわけ。わっちがどれだけ全力で駆けてきたと思っておる』
木窓の枠の向こう側で、ホロが唸っている。
「その割には、ずいぶん酒の匂いがするんだがね」
狼の姿の時のホロは、顔中を毛皮に覆われているというのに案外表情が読みやすい。
誤魔化すように目を逸らしたので、デバウ商会でしこたま飲んできたことがわかる。
さすがに酔っているようには見えないので、毛皮に酒の匂いが染みつくほど飲んだのだろう。
『たわけ。あの兎どもは、賢狼への敬意の払い方を知っておるだけじゃ』
ホロはそんなことを言って、首筋をぐいと窓枠に押し付けてくる。ごわごわの毛皮が部屋の中に入ってくるが、そこに荷物が括り付けられていることに気が付いた。
『ノミにたかられておるようで落ち着かぬ。早くとってくりゃれ』
ホロの毛並みに括り付けられた手紙類を取り、変な癖の付いた個所を手で撫でてやる。
ホロは犬が甘えるように首をぐいぐい押し付けてくるが、壁がみしみしと不穏な音を立てはじめたので、押し返した。
「まったく」
体を離したホロはにやりと笑い、ひときわ大きく尻尾を振ると、その姿を消した。
まるですべてが一瞬の夢のよう、と思ったのもつかの間、ロレンスの手の中には手紙がきちんと残っている。窓枠から顔を出して階下を見下ろせば、人の姿に戻ったホロが窓の下に立っていた。
当然服など身につけておらず、珠のような素肌が月明かりに照らされている。絹にも勝る髪の毛が揺れ、静かに月を見上げるホロはそれこそ月の精霊のようだった。
ロレンスがその神秘性に見とれていたら、美しい狼の娘はへっくしとおっさんのようなくしゃみをした。情緒もなにもあったものではないが、それはそれでホロらしい。
ロレンスは苦笑しつつ、椅子の背もたれにかけていた外套を手に取って、丸めて外にいるホロに放り投げた。
「さっさと上がってこい。風邪ひくぞ」
ホロは器用に外套を受け取り、ぱっと広げると肩に巻く。
そして、顔の前にかき寄せてから、大きく深呼吸をしていた。
「くふ。ぬしの匂いじゃ」
赤みがかった目が、嬉しそうに笑う。
ロレンスはなにかを言おうとして、そのなにかがわからなかった。
ホロに対する気持ちは、到底一言では表せない。
だから、鼻をこすってからこう言った。
「おかえり」
ホロはきょとんと眼を見開いてから、嬉しそうに笑った。
「んむ」
ただいまじゃないのかとロレンスが呆れ笑うと、ホロは貫禄たっぷりに顎を上げ、歩き出す。
外套の下から見え隠れするホロの尻尾を見送って、その姿が建物の陰に消える頃、ロレンスは木窓を閉じようとして視線を上げる。
満月ではないが、今日も月は煌々と輝いている。
ロレンスは月へと恭しく一礼をしてから、木窓を両手で閉じた。
優雅な足取りで部屋に入ってきたホロを抱きしめたのは、それからすぐのことなのだった。
翌日は、目を覚ますとしばらくホロの寝顔を楽しんでから優しく起こし、パンにチーズと昨晩の腸詰の残りを挟んだものを恭しく献上し、ベッドに腰掛けて足をぷらぷらさせながらパンを頬張っている間に、尻尾の手入れをしてやった。
面倒なことはすべてロレンスにやらせたい、と考えている節があるホロだが、尻尾の手入れだけは機嫌のよい時にしかロレンスに任せない。食事の後は、口の端についたパンくずを拭わせるところまでが一連の儀式だ。
朝日に照らされたホロは満足げに笑い、ロレンスの頬に口づけをしたのだった。
「あなたたちを見ていると、まるで我が家が不仲のように思えてきます」
大聖堂の敷地で育てている薬草類に水をやっていたエルサは、手をつないで宿舎から出てきたロレンスとホロを見るや、呆れたようにそう言った。
「貫禄の違いじゃな」
ホロが堂々と胸を張ると、さしものエルサも笑うしかないようだった。
「首尾はいかがでしたか?」
「悪くない金額だったかと思います」
ロレンスはホロがデバウ商会から持ち帰った手紙類を差し出したが、エルサは差し出されたものを一瞥してから、水をたっぷり含んで真黒くなった薬草畑を再度見まわした。
「畑の水やりも終わったので、朝食を食べながらお話ししましょう。それとも、もう食べましたか?」
「あ、それでしたら――」
「んむ、良い提案じゃ」
ロレンスの返事を遮るようにホロが言ったことで、大体のことをエルサは察したらしい。
「食べてない、と嘘をつかなかったことだけは褒めましょう」
手拭いで手を奇麗にすると、手慣れたように腰帯に手拭いを挟み、木桶や雑草が載せられた笊を抱えて、エルサは言った。
「歓待は神も推奨されることですから」
ホロが尻尾を大きく揺らし、ロレンスはエルサの荷物を少しだけ肩代わりしたのだった。
煮たてた山羊の乳と一緒にエルサが出してきたのは、ロレンスが伝え、今やエルサの故郷で名物になっている堅焼きパンの一種、クッキーだった。
「んむ、良い歯ごたえじゃな」
ばり、ぼり、とホロは音を立てて食べている。柔らかくさくさくとしたものも人気だが、最近は固いものも人気なのだという。それでエルサがわざわざ固いのを出したのは、犬が骨をかじるのをホロから連想したのだろうかと邪推しながら、ロレンスは山羊の乳でふやかしながら食べる。バターと塩と卵、それに贅沢なことに砂糖も使われていて、贅沢は厳に戒めそうなエルサにしてはずいぶん奮発したなと、ロレンスは驚いた。
「このヒルデさんという方は、あなたたちの結婚式の際にお会いした方ですよね」
ヒルデからエルサにあてられた手紙を広げながら、エルサが言った。
賑やかな結婚式で、ロレンスとホロが辿ってきた旅で出会った人々は大体呼ぶことができた。
「そうです。兎の化身の」
エルサはうなずいてから、嬉しそうに固いクッキーをかじるホロを見やった。
「あなたは本当にヒルデさんを脅してはいませんか?」
ホロが耳をピンと立て、嫌そうな目をエルサに向ける。
「たわけ。そんなことするわけなかろう。まあ、このわっちの威厳に兎が勝手に怯むことはあるかもしれぬがのう」
ふふんと胸を張るが、あのヒルデに至ってはそんなやわではないだろうし、ホロも心得ている。
「じゃが、代わりに山の状況を散々聞かれた上に、天使の門の話もしつこく聞かれてのう。あまりに喋らされるから、喉を潤すのも一苦労じゃった」
喋った分だけ酒を飲んできたのだろうが、ヒルデたちはきちんと山の価値、それに天使の門の価値を計算した上で、金額を提示してきたらしい。
なお、天使の門とは錬金術師がその技術で作り上げた道具のことで、正体は太陽光を集めて火を熾す金属製の鏡だ。文字を拡大する硝子の珠が、時折火事を起こすことは知られているが、巨大な金属板を精緻に作り上げることで、それこそ鉄を精錬してしまうほどの高温を作り出せるとはロレンスも思っていなかった。
狼も巨大になれば神になるように、広く知られたものでも規模が変わると見知らぬなにかに変身する、という一例だろう。
「では、諸々含めての結果ということですね」
エルサは教養と信仰心を兼ね備えた理想的な聖職者のように、静かにうなずいた。
「私も金額としては悪くないかと。木材の価格は上がることはあってもなかなか下がりませんから、山の価値はしばらく変わらないでしょう」
「あとはこちらで、ターニャさんの身元を保証するだけですか」
デバウ商会に山が売られたとしても、実際にそこで働くのは少なくない地元の人間だ。彼らは人ならざる者の存在などおとぎ話でしか知らず、もちろん栗鼠の化身であるターニャの正体を明かすことはできない。ターニャが彼らとうまく仕事をするには、人の世に適合するための策を取り計らう必要がある。
その点、広い領地を所有し、人の出生から墓場までを管理する教会にかかれば、まったく新しい村人の身分を無から作り出すのは造作もない。
「うまくまとまってよかったです」
エルサは手紙を置いてからロレンスを見ると、ほっとしたように微笑んだ。厳しいが優しさも持ち合わせる、そんな笑顔だ。若い頃のエルサは厳しさばかりが前面に出ていたが、とても良い歳の取り方をしているようだった。
「じゃが、これからが面倒じゃのう」
そこに口を挟んだのは、木の椀に残った最後のクッキーに手を伸ばそうとしたロレンスを、牙を剥いて威嚇していたホロだった。
「面倒? なぜですか?」
最後のクッキーを頬張ってご満悦のホロは、手の指をぺろりと舐めてから答える。
「これからまたその手紙の返事を持って、わっちゃあ北に向かう必要があるじゃろうが。しかも、そこに書かれておるのはずいぶんな金額じゃ。わっちもこのたわけと旅をしておるからのう、それだけの貨幣がどれだけの量になるかは大体想像がつきんす。それを、あんなに遠くからここに運ぶとなれば、誰がその役目を負うのかという話になるじゃろうが」
辟易とした様子のホロは、そう言って椅子の背もたれに面倒くさそうにもたれかかる。
エルサは目をぱちくりとさせ、それからロレンスを見た。
二人の視線のやり取りに気が付いたホロが、藪睨みにロレンスとエルサを見る。
「なんじゃ、その顔は」
エルサは少し悩んだのち、ロレンスに任せるとばかりに手元の羊皮紙を一枚、長机の上を滑らせた。ロレンスは仕方ないかと受け取ってから答える。
「お前が背中に山ほどの貨幣を積んで、運ぶ必要はないよ」
すると、ホロが片眉を吊り上げた。
「じゃあどうするんじゃ? 荷馬車を列にして、荷台に山ほど積んで運んでくるのかや」
「その必要はないし、お前が返事の手紙を届ける必要もない。ヒルデさんは、俺たちを信用してくれている」
「む、う?」
「遠方の地にある、見たこともない山を大金で買うのに、躊躇いなく支払ってくれたんだからな。まったく、大商人の鑑だよ」
ロレンスはそう言って、エルサから受け取った一葉の羊皮紙を見せた。
「なんじゃこれは?」
不機嫌そうに眉を顰めるホロに、ロレンスは言う。
「為替証書だ。昔の旅でも何度か目にしてるはずだけど」
「?」
「この紙切れ一枚が、膨大な量の貨幣の代わりなんだ」
ホロはちょっと目を見開き、それから不機嫌そうな目付きで為替証書を見た。
「……いつものぬしらの魔法かや」
「エルサさんの前で魔術の話をするのは憚られる」
そんな軽口を、エルサはもちろんいちいち相手にしない。優雅に山羊の乳をすすっていた。
「そんなところだ。現金を運ぶのは、お前が言うとおり大変だし、危険でさえある。代わりにこの紙切れにヒルデさんが署名をし、価値を保証することで、俺たちはこの紙切れをしかるべき大きな商会に持ち込むだけで、書かれた金額を受け取れる。すごいよな」
商人たちの信用の連鎖だ。遠く離れた商会同士、商いによってつながった網の目には信用という通貨が流通する。ただの紙切れが、ぴかぴかの金貨の代わりを果たすのだ。
家に山ほどの金貨をため込む吝嗇家が、どうして聖職者の説教では人を信用しない醜悪な人物として描かれるのか、そこに答えがある。
「もちろん、魔法以上にすごいのは、これだけの信用を容易に扱えるヒルデさんの商人としての器のでかさだ」
デバウ商会は北の地を事実上支配する大商会で、独自の貨幣まで打ち出している。
そんなヒルデと知り合えた幸運に、ロレンスは誇らしささえ感じてしまう。
しかし、狼のホロはロレンスが兎のヒルデを褒めるのが気に食わないのか、やや不機嫌そうにしている。
「そういうわけで、残念ながらデバウ商会でしこたま酒を飲む口実はなくなってしまったというわけだ」
ロレンスの一言に、ホロがむっとして耳と尻尾の毛を逆立てる。
「たわけ!」
とはいえ、それから残念そうな顔をしていたので、実際のところ期待していたのだろう。
まったく食い意地の張ったことだとロレンスは笑いつつ、こう言った。
「怒るな怒るな。なんであれ話はまとまったんだからな。そろそろここをお暇して、次の町に行く頃だろう?」
長机の下でギュっとロレンスの足を踏んでいたホロは、疑わしげにロレンスを見る。
「山向こうの大市に顔を出してみないか? コルやミューリたちのことも気になるが……ここまで来て大市を見ないというのもな」
ホロは狼の耳を二度ほど機敏に振ると、ロレンスの足を踏むのをやめて、たちまちにこにこと笑いだす。
現金なものだとロレンスが呆れていたら、エルサが口を開いた。
「それでしたら、一つお願いがあるのですが」
ヒルデからの手紙を丁寧に折りたたむと、いつだって冷静なエルサは、こう言った。
「私も連れて行ってもらえませんか?」
ロレンスが意外だったのは、エルサは聖堂での留守番役だったからだし、ましてや大市で買い物を楽しむような性格でもないからだ。
すると、エルサは疲れたようにため息をついて、歯でも痛むかのように右頬に手を当てた。
「実は、この聖堂と村の人たちが、大市で問題に巻き込まれているそうなのです。助けを求める手紙が昨日届いて、どうしようかと思っていたのですが……きっと、これは神の思し召しですね。あなたたちが同道してくれれば、大変心強いですから」
わざとらしいほどに聖職者めいた口調で言って、エルサはロレンスとホロを見る。
エルサが聖職者として優秀なのは、こちらの腕の中に上手に義務感を抱かせるからだ。
エルサは己の役どころをきっちりと弁えている。
ロレンスにはその割り切りが心地よく、笑顔で返事をした。
「私たちでよければ、手を貸しましょう」
エルサはそういう返事をもらえるはずだと確信して、今この場で話を切りだしたはず。
ホロは面倒そうな顔をロレンスに見せていたが、口を挟むことはなかった。
さしものホロも、テーブルに出された甘くて歯ごたえの良いクッキーは、この頼み事への伏線だったと理解したらしい。最後の一枚まで平らげてしまった身としては、抗弁できまい。
「助かります。神の御加護がありますように」
神の御加護などなくてもたくましく生きていけそうなエルサは、そう言ったのだった。
エルサが説明してくれたのは、大市ではありがちな話だった。
ヴァラン司教領に暮らす者たちは、領地の秋の収穫を売却し、その代金で越冬のための物資を購入する。もう長いこと続いている慣習だそうだ。それが、毎年取引を代理してもらっている商会が、商いで行き詰まっているのだという。
このまま商会が破産したのでは、領地の収穫を売却した代金も受け取れないし、越冬のための物資も手に入れられない。そうなれば備蓄のない貧しい家では、深刻な問題が起きるかもしれない。ただちに聖堂の財産目録を持って大市に来てくれ、ということだった。
そして、エルサがいかにもエルサらしかったのは、そんな事態を前に慌てふためいてロレンスに問題を丸投げしてきたわけではないということだ。
「手負いの獣を助けるか、それとも見捨てて自分たちが生き延びる策をとるべきかなど、あのたわけもまあまあ考える頭があるではないか」
宿舎の部屋で荷造りをしていると、ホロが感心したように言っていた。
エルサがロレンスに向けてきた相談とは、いったいどうしましょう? ということではない。
手元には山を売った代金としての為替証書がある。それがあれば商会の資金繰りを助け、彼らを窮地から救える可能性がある。だがその可能性は全くの未知数であり、山を売却した代金をすべて注ぎ込んだ挙句、やっぱり助けられないということも十分にありうる。
一方、商会を見捨てて領地の人々のために為替証書を使うならば、確実に数年分の物資を買い与えることができる。
だが、商会と領地の人々、その両方を助けることは神以外に能わない。
エルサは慈悲深い救済の手の本数も、膂力も限られていることを理解しているのだ。
そこで、判断は自分がするから、ロレンスには商会の状況を見極めてほしいと頼んできた。長い目で見れば、商会を助けて、そう言ってよければ恩を売ることが領地の人々のためになるが、確実さを優先するのなら、直接領地の人々のために使うべき。エルサは物事を現実的に考え、現実的な情報を欲していた。自分の伴侶をこき使われてホロは怒るかと思いきや、エルサのそういう考え方が気に入ったらしい。
ホロも昔は神と崇められ、似たような選択を迫られたことが何度もあるのだろう。
「ただ、商会の件は話を聞く限り、なにか取引に失敗したというより、別の理由だろうな」
ロレンスは荷物をまとめながら、日記の紙束をホロに向ける。パンよりも重いものは持ちたくない、とでも言いそうなホロだが、日記だけは別で、おとなしく受け取った。
「商いの失敗以外で潰れるなんてことがあるのかや?」
「商会が店じまいを余儀なくされるのには、いくつか理由があってな」
「ほう」
ホロに荷造りを手伝う気はさらさらないらしく、ベッドの上で胡坐をかきながら、日記を開いて羽ペンを手に取った。面白そうな話なら書き加えておこう、と思ったのだろう。
ロレンスは今更なにか言うこともなく、話を続けた。
「ひとつは、単に損が積み重なった場合。もうひとつは、内部の仲たがいで商いが継続できなくなったりする場合。あとは、商いに必要な許可証の類を取り上げられたりして、そもそも商売ができなくなる場合」
ホロは羽ペンの羽で自分の顎を撫でている。日記に記すような興味は引かれなかったらしい。
「もうひとつが、儲かって利益が出ているのに、破産してしまう場合だ」
ホロの耳と尻尾がぴんと立つ。好奇心が刺激されたようだ。
「どういうことじゃ? 儲かっておれば店は潰れぬじゃろう」
「そう思うだろう? だが、商いにおいて、代金の支払いと受け取りには時間差があるのが普通なんだ。なにかを買う時には金貨が必要なのに、なにかを売った代金は来週受け取る、みたいなことをしていたら、どこかの頃合いで金庫が空になる。そうして金庫が空になったとき、大事な支払いが重なったりすると、おしまいだ」
ロレンスはぎゅっと麻袋の口をしめる。息の根を止めるかのように。
「約束を守れないのは商人として致命的。そこで一巻の終わり、と言うわけだ」
ホロは胡坐をかいて、背中を丸めて難しい顔をしている。いまいち納得がいっていないのだろう。
「じゃが、利益は出ておるのじゃろう? やっぱりわけがわからぬ」
「帳簿の上ではな。だから、なにかの商品を売ったけど回収できていない代金、売り掛けとか債権とか言ったりするが、そういう『貸し』を全部回収できれば、『借り』を返すことができる。そこまではいいか?」
「それは……うむ」
「どこの商会も、基本的には『借り』より『貸し』が多い。つまり儲かっている状況だ。ただ、さっき言ったように、金貨を支払う時ともらう時に差があるから、金庫が空にならないように注意が必要だ。商会ではすべての取引を把握している誰かが、注意深く金貨が尽きないように調整をするんだが、突発的な事故や手違いはいつだって起こる。良かれと思ってやったことが、わがままな姫のご機嫌を損ねるとかな」
と、ロレンスが言うと、ホロは「ミューリのたわけがまるっきりそれじゃな」などと訳知り顔にうなずいている。ロレンスは笑顔でなにも指摘せず、後を続けた。
「そして、いざ危機になったときに問題なのは、よそから見ればその商会の『貸し』と『借り』が本当に釣り合っているのかなんてわからないことなんだ。帳簿に書かれているのは、結局ただの文字でしかないし、そのすべてをいちいち調べるのは現実的ではない」
「んむう……確かにそうじゃな。それで?」
ホロが興味深そうに話を聞いてくれると、ロレンスも嬉しくなってくる。
「商会が存続するには、周りから信用されるしかない。しかし、うちは儲かっていますよ、大丈夫ですよと周りに証明するには、日々の支払いをきちんとするしかない。だから金庫に金がない時に支払い期限がやってくると、まずいんだ。支払いができなければ誰からも信用されなくなってしまう。あそこはやばいんじゃないか、と思われてなんの商品も売ってくれなくなり、取引が滞り、ますます支払いが苦しくなり、商いが完全に止まる。心臓が止まるようにな」
ロレンスは椅子の背もたれにかけてあるホロ用の外套を手にとって、ホロに投げた。
「つまり、貢がれるだけ貢がれてその礼をしないお姫様は、ついに愛想を尽かされてしまうかもな」
「ん、なっ」
「もちろんお前はいつか恩を返そうと思っていたとしても、それはお前の心の帳簿上の話だ。ご褒美を受け取れない俺は、ついに心が破産してしまう。教訓的な話だな?」
ロレンスが笑うと、ホロは肩をそびやかして唇を尖らしたのち、牙を見せた。
「たわけ! むしろ貸しを積み上げておるのはわっちのほうじゃ!」
「はいはい」
いきり立つホロを軽くあしらって、ロレンスは荷物を背負う。
「現実の商いも、今の俺とお前みたいなもんだ。しかも関わる数が多い。俺とお前がそれぞれ十人ずついて、一つ屋根の下で生活しながら、あれは貸しだこれは借りだ、と言い合っているところを想像してみろ。いつか大変なことが起こると目に見えてないか?」
「……」
ホロはその場面を想像したのか、尻尾が神経質な猫みたいに不規則に揺れつつ、反論はしなかった。たった二人でさえ、夕飯の干し肉が一枚多い少ないで喧嘩をすることがあるのだから。
「まあ、理由はどうあれ、商会を助けられたらいいんだろうが、どうかなあ……。エルサさん自身があまり希望を抱いてないのは、その分助かるというものだ。多分、村では村長に変わって村の取引を監督して、そのあたりのことが肌感覚でわかってるんだろう」
「ふん」
そんなことはどうでもいい、とばかりにベッドから降りたホロが外套をまとうので、ロレンスは胸元の紐を結わえてやる。ホロは礼も言わずつんと澄まし顔だが、尻尾が明らかに嬉しそうにしている。そういうところに弱くて、ロレンスはついつい世話を焼いてしまう。
ホロはあまり借りを返してくれないが、利子ならたっぷり払ってくれる。
「じゃが、今の話には妙なところがある気がしんす」
蝶結びにされた胸元の紐を満足そうに指でいじってから、ホロは言った。
「その商会が潰れるとしても、その商会が持っておった『貸し』はどうなるんじゃ? 煙のように消えるのかや? たとえばこの土地の連中がその商会から受け取るはずだった代金は、いったいどこに行くんじゃ?」
「さすが賢狼だ」
ホロの頭をぐしぐし撫でてやると、子供扱いされたホロは牙を見せて唸る。
「商会が潰れても、直ちに『貸し』と『借り』のすべてが消し飛ぶわけじゃない。商会の倉庫には金目のものが残ってるだろうしな。だから、本当は、この司教領の人々のために金を確保する、もっとよい方法がある」
ホロはロレンスの口調の変化に気が付いて、狼の耳をぴんと立てた。
「最も利己的に動くのなら、救いの手を差し伸べる代わりに破綻寸前の商会に押しかけて、村の人たちが売却したものの代金を可能な限り回収するべきだ。お前らがどうなろうと知ったことか、と無理やりにな。それでもしもすべてを回収できたとしたら、山の売却代金は手付かずの上に、今年の収穫分も丸ごと残る。最高だよな?」
そして、ロレンスは商人らしい笑みをわざと見せた。
「その商会に十分な財産が残ってなかったら、全員が貸しを取り戻すことはできない。早い者勝ちだ。もたもたしていたら全員がしゃぶりつくした骨しか残っていない、なんてことになる」
「……趣味のよい話に聞こえぬ」
ロレンスから手を離し、日記を小脇に抱えたホロは、ロレンスのことを改めて見上げた。
その目には、いくらかの恐れに似た色が浮かんでいる。人が森の動物を恐れる時のように、森の動物もまた、人を恐れる時に同じ目をする。
「そのとおりだ。しかもややこしいのは、弱った羊が実は、適切な手を施せばこの後元気になるかもしれないところだ」
ホロはきょとんと眼を見開いていた。
「もしも元気になれば、羊毛や乳を生み出して末永いこと利益をもたらしてくれるだろう? だとすれば、その羊に金を貸している者たちは、いつかすべてを返済してもらえるだろう。そう考えれば、安易に噛みついて肉をむしるのは、得策とは言えない」
この理屈には覚えがあるんじゃないか? とロレンスが冗談めかして笑いかけると、ホロは嫌そうな顔を見せた。
「ぬしの財布からは、ちょっとずつ銀貨を吐き出させるべきじゃからな。次の商いの種銭がなくなってしまっては、元も子もありんせん」
ホロのわがままは、いつだって考え抜かれたわがままだ。
「よくできました。そして、エルサさんは傷ついた羊を前に、どうすべきかを見極めようとしている。ただ、エルサさんが本当にすごいのはそこじゃない。どんな選択肢を取っても、商会を無事助けたとき以外はすべて、必ずどこかに血の痕を残すとわかっていることだ」
ホロはロレンスをじっと見て、森の狼が獲物の動きを確かめるような眼を見せた。
そして、ため息をつく。
「あのたわけは、わっちらだけにではなく、自分にも厳しいからのう」
「そう。この件に関してなにかの判断を下すのは、はっきりいって汚れ役だ。エルサさんは、嫌な役目を押し付けられたと理解しているし、そうするのがよそものの役目だとわかってる。だから俺たちにだけ仕事を任せるんじゃなく、エルサさん自身も大市に行くと言っている」
ホロの小さくて形の良い鼻の頭に、しわが寄った。
「ぬしの好きそうな話じゃなっ」
「覚悟を決めて汚れ役を引き受けようとしている人がいる。手伝いたくなるというものだ」
お人好しが、と目で責めてくるが、ホロはロレンスの手を取って、程よい力で握ってくる。
面倒くさがりだがホロ自身お人好しなので、面倒事にロレンスが首を突っ込めば助けざるを得ない。でもロレンスが誰かを助けるために行動するのは、同じ群れの一員として誇りに感じるところもある。でもやっぱり面倒くさい。なにより、エルサは女である。
そんなところだろうか、とロレンスはしかめっ面のホロを見た。
「ほら、機嫌直せよ」
ロレンスはホロとつないだほうの手をそのまま持ち上げ、指の背でホロの頬をこする。
ホロは少し鬱陶しそうに目を眇めた。
「俺の活躍と、格好いいところを見せてやるから」
それから続けたその言葉に、ホロはきょとんとして、呆れるように苦笑した。
「ふん。うまくいかないぬしを励まし、失敗したら慰める、このわっちの苦労も考えるんじゃなっ」
尻尾の毛先でロレンスの足を少し叩いてくる。
それは賢狼様のお許しだ。
ロレンスはもう一度指の背でホロの頬を撫でてから、部屋を出たのだった。
★2019年8月9日更新の『狼と尻尾の輪舞≪第二部≫ 』に続く。
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