※この短編は電撃文庫MAGAZINE 2020年5月号掲載を抜粋したものです。


 ラーデン司教領の面々は、特に宿泊のあてもなく町に押しかけていたようで、結局司教の決断で、教会に泊まることになった。それは神の慈悲を体現する教会らしい判断、と言いたいところだが、司教は細かいことを気にする性格ではなさそうで、適当に決めたのだろう。生真面目な性格から、騒ぎの後始末を受け持つはずのエルサはげんなりとしていた。

「なんだかおかしなことになってしまいましたが……」

 ロレンスたちを見送るときに口にした言葉にも、実感がこもっていた。

「いえ、いざ話を進めてから問題が露見するより良かったですよ」

 頑固なラーデンと、そのラーデンを慕うあまり、拙速な行動をとっていたスルトと村の人たち。

 理屈の話ではないので、これぞという正解はないのだろうが、数年後に笑い話になるような結末になったらいいとロレンスも思う。

「また明日、話を聞きに来ます」

「よろしくお願いします。私は司教様がお酒を持ち出さないかを見張っておきます」

 悪い人ではないのだろうが、思慮深い司教様というわけではないらしいのは、この間の借金の問題の際、よかれと思って商人を牢に放り込んだ経緯からも明らかだ。

「ではおやすみなさい」

「良い夜を」

 エルサは疲れたように言って、やや背中を丸め気味に教会の中に戻っていった。

 その余韻もなくなってから、ロレンスはさてと隣のホロを見た。

「お前、どうせ宿に戻ってもしばらく起きてるよな?」

 昨晩は祭りに使う麦の蒸留酒の選定で、たらふく飲み比べてべろべろに酔っぱらっていた。

 当然朝は起きられるはずもなく、昼になってもまだ呻いていて、日が傾いてようやく落ち着きを取り戻していた。食事もつまみ程度に鰯とスープをちょっと食べた程度。そして町は大市の終盤と祭りの準備が重なって、きっと一年で最も賑やかな時期だ。

 今も人の喧騒はむしろ昼間より多いくらいで、飲んで騒ぐ者たちで溢れている。

「んむ。脂っこい肉が食いたいのう」

「はいはい」

 仰せのままに、手近な酒場に入ったのだった。



 ホロが羊の骨付きあばら肉に噛みつくのを眺めながら、ロレンスは麦酒を軽く啜る。

 農産物が一堂に会する秋の大市なので、麦酒の醸造は町中の職人だけでなく、自前の醸造鍋と秘伝の仕込み法を携えてやって来た方々の職人たちが腕を振るっているらしい。ロレンスが口にしている酒も、果樹の木片で燻製にした大麦を使っているらしく、果物の香りがする。

 放っておいたら、ホロなどは一樽飲んでしまいそうな飲みやすさだった。

「お前は、どっちの味方をするべきだと思う?」

「んむ?」

 羊肉の脂を麦酒で洗い流したホロは、鼻の下に白い髭を作りながらこちらを見た。

「理屈の話なら、商人らしく天秤の目盛りをじっと見つめればいいんだが」

 スルトとラーデンの話は、どうも理屈で片付きそうもない。

「あるいは手を出さないべきだろうか」

 外野の人間が良かれと思って手を出すと、かえって問題が悪化することもある。

 ついこの間の借金の問題は、性質上、よそ者のほうが解決しやすかったに過ぎない。

 とはいえ彼らの間には手に触れそうなほど明確な問題があって、彼ら自身では解決できそうに見えない。

「ぬしが手を貸したいと思う理由はなんなのかや」

 ホロはねぶった羊の骨を手に、忙しなく食事を運ぶ酒場の娘に振ってみせる。

「もったいないと思うからな」

「むう? もったいない?」

 付け合わせの炒った豆をばりばり噛み砕くホロは、意外そうな顔をした。

「市場で全然知らない商人が、極上の羊肉を売っている。だが彼はその肉の質の良さを知らないために、露店でごった煮を出すような雑な店に安値で売り渡そうとしている」

「たわけじゃな! 良い羊肉は香草をちょっと乗せて、パン窯のようなところでじっくり焼くのがふさわしい。煮込みはくず肉をうまく食べる方法じゃ!」

「ほら、口を出したくなるだろ?」

 ロレンスの言葉に、ホロはうなずいた。

「似たような話じゃと?」

「そりゃそうだ。怪しげな方法で手に入れた土地を開墾し、立派な村に仕立てあげてみせた。あだなとして、司教様なんて呼ばれているラーデンだが、本当の司教じゃない。それがある日突然、教皇庁から直々に司教に引き立てようと持ち掛けられる。どうしてそれを断るっていうんだ?」

 司教というのはとてつもなく高位の職階だ。本来ならば自由学芸と呼ばれる学問を修め、さらに上位の教会法学を修めたうえで教会に奉仕し、まずは助司祭から始め、一歩ずつ出世の階段を上ってようやくたどり着ける場所なのだ。

 しかも単なる信仰心だけでは不可能で、抜け目なさと政治的な立ち回り、それにたっぷりの心づけを上司に渡さなければどの関門も越えられない。

 すべてをすっとばして司教になれるのにそれを断るなど、誰に聞いてももったいないと言うだろう。

「興味がないのやもしれぬ。コル坊も聖典は大好きじゃが、教会で偉そうにする性格ではないじゃろ?」

「好き嫌いの領域を超えている気がするんだよ。司教になったら、もちろん今の村は本物の司教領になる。その現実的な利益は、村を大事に思う人ほど理解できるはずなんだけどな……」

「ふむ」

 ホロは言葉の向かう先がわからなかったのか、それとも席から見える調理場で、今まさに竈から羊の塊肉が引き出されていたからか、鈍い反応を見せた。

「ここの司教さんが説明してくれたが、ラーデン司教領は存在しない教会の代理で土地の権利を受け取っている。もし元の所有者の貴族の末裔とかが、詐欺だと言って乗り込んできたら太刀打ちできない」

「それは……なるほど、あるかもしれぬのう」

「けれど本物の司教が治める司教領なら、そういう苦難に陥った時、教会組織が味方をしてくれる。よほど貴族側も腰を据えないと、土地を取り戻すのは無理だろう。それは周囲の土地所有者と揉めた時にも同じことだ」

 ロレンスがそう言い終える頃、赤毛をリボンでくくった元気な酒場の娘が、焼き立ての羊肉をテーブルにどんと置く。

 ホロはついでに酒のお代わりを頼み、手にしたナイフで肉に線を引いた。

「ここまでわっちのじゃ」

 ホロは領土争いの困難さを、実地に示してくれた。

「それに村がこの先経済的な問題に見舞われた時も、サロニアの教会が手を貸しやすくなる。同じ教会同士なら、理由など大して問わずに金を融通しても問題視されないからな」

「それもわかりんす。わっちがまだぬしのただの旅の連れ合いだった頃、ぬしの支払いで食事をするだけで心苦しかったからのう。妻の立場になってようやく、気兼ねがいくらか減ったものでありんす」

「……」

 ロレンスが引きつった笑みを無言で向けると、ホロは憎たらしいくらいに可愛い笑顔を向けてくる。それから嬉しそうに肉を切り分け、かぶりついていた。

「まあ、ラーデンさんが司教になったら、そう言った諸々の特典がついてくる。ラーデンさんにこの先、万が一のことがあったとしても、村の心配はかなり減るだろうな」

 ホロは軟骨までバリバリ食べてから、口も拭わずに言う。

「不利益もあるのではないかや」

 さすが賢狼だった。

「あるよ。教会組織に組み込まれるから、例えばラーデンさんの後を継ぐ誰かが村長とは別に上に立つことになる」

「ふむ。厄介な奴が来るかもしれぬ、と考えることもできるのう」

「ラーデンさんはそれを心配してるのかな」

 手塩にかけて作り上げた村。そこによそ者がやってきて我が物顔するとなれば、面白くはないだろう。

 ロレンスはそんなことを考えながら、ホロが切り分けた羊肉の、小さいほうをさらに小さく切り分けて口に運ぶ。噛めばじわりと甘い脂が口の中に広がっていく。

「で、お前はラーデンさんの話の最中になにか気がついてたよな」

 ロレンスが言うと、背中を丸めるようにして骨付きの羊肉にかぶりついていたホロは、そのままの姿勢でロレンスを上目遣いに見る。

「それほどのことではありんせん。あやつは、鹿猟が不安定じゃから村に魚の養殖を取り戻したい、と言っておったじゃろ?」

「それが嘘?」

 ホロは華奢な肩をすくめ、肉をはぎ取られた骨をしげしげと見つめ、まだこびりついている筋っぽい肉に牙を突き立てる。

「ぬしらの話でも、鹿猟はうまくいっておるということじゃ。あのたわけは鹿猟が気に食わないんじゃろ」

 ホロの話しぶりは、どこか距離を置くような物言いだった。そこから感じるのは、なにかを隠したいというほどではないが、核心に触れたくなさそうな雰囲気だ。

 それはなんだろうかと思った時、記憶によみがえったのは、ラーデンの言葉だった。

「ラーデンさんが山に池を作ったのは、それが儲かるからとかという理由じゃなく、無くした故郷のことを考えて、だったのかな」

 本人は初めて覚えた聖典の一節に導かれて、と言っていたが、それにしては池を作るというのはやや不自然だ。

 ロレンスの言葉にホロはすぐに返事をせず、がりがりと音を立てて骨をかじってから、ため息交じりに置いた。

「人の心などわからぬ」

 投げやりなふうだったが、ロレンスはホロのそんな気持ちもわかった。

 ホロはかつてヨイツという土地で仲間と共に暮らしていたが、ある日気まぐれで故郷を発った。すぐに帰るつもりがあちこち放浪した挙句、ひょんな縁からパスロエという村で麦の豊作を司ることになった。そこで知り合ったとある村人との約束だったと言い、律義なホロは何百年とその役目を全うしたらしい。そうこうしている間に時は流れ、ホロは故郷への帰り道を忘れ、かつての仲間は時の流れの中に消え去った。

 ホロの遠吠えに応える者は、もういない。

 そんなホロの前に、無くした故郷を再現したがっていた、なんて話がでてきたら。

 普段は穴を掘って埋めてある、解決できない問題が顔を見せてしまう。

 ただ、ホロが距離を空けたがる気持ちは理解できたが、ロレンスは依然として、全然別のことが理解できなかった。

「しかし、それは別に司教になるならないにつながらないんだよな……」

 どういうことなのか。

 ロレンスは麦酒を手に考え込むが、うまく思考がまとまらない。ラーデンが司教になるのを拒むのは、端的に言って不合理なのだ。そのために奔走するスルトを責め、教会でのあんな大立ち回りになるような理由はどこにもない気がする。

 ラーデンが司教になるのを拒否する理由は、もっとなにか別のことなのだろうか。

 ロレンスがあれこれ考えていると、肉を挟んだ向かい側で、ホロがどこかげんなりしたような顔で自分を見ていることに気が付いた。

「ん、な、なんだ、どうした?」

 顔になにか付いているかと驚いて顔を撫で、ホロが好きな脂身の付いた場所を切り分けてしまったかと羊肉を見る。

 ホロはそんなロレンスの反応に、ため息をつく。

 そして、なにかひどく迷うようなそぶりをしてから、口を開く。

「ぬしよ、わっちが思うに――」

 ホロがその先を続けようとしたさなか、大きな声が割り込んできた。

「おお、ロレンス殿ではないですか!」

 びくりとして見やれば、禿頭に立派な白髭、でっぷりと肥えて突き出た腹という、絵に描いたような老商人のラウドだった。ラウドはサロニアの借金騒ぎの時、最初にロレンスたちに借金の証文を突きつけてきた商会の主だ。

 あの騒ぎ以来、すっかりロレンスを商売の英雄かなにかと見なしている。

「奥方も、今宵もお美しい限りで」

 ホロは褒められたら素直に喜ぶ性格だが、つい今しがたなにか言いかけていたことが引っかかっているのか、やや曖昧な笑顔だった。

「ところで聞きましたぞ。教会にラーデン司教領の者たちが大挙して押し寄せているとか、そこにロレンス殿が呼ばれたとか。ラーデン様が本物の司教になるかどうかという話でしょう?」

 すでにスルトは商会に話を持ち込んでいたというから、皆が知るところなのだ。

「ええ、町の商会からは借金を断られてしまって……という話でした」

 ロレンスが悪戯っぽく言ったのは、ラウドがまさに断った側の商会であるから。ラウドはその含みに、酒のたっぷり注がれたジョッキを手にしたまま肩をすくめた。

「多少の寄付なら構わんがねえ……。金額もでかいし、最近の風潮もある。あとはほら、例えばラーデン様が本物の司教様になって、代替わりした後のことが問題だ。踏み倒される可能性がないわけじゃない」

 ロレンスも考えたことで、商人ならば誰しもが似たような実例のひとつやふたつ知っている。

「ただ、あそこが本物の司教領になるんだったら、それはそれでいい話だって仲間内でも話してたんでね。ロレンスさんを見かけたから、どんな感じかなと」

「あまりご期待に添える感じではありませんが……」

 ラウドは酒を飲み、それから同情するように笑った。

「ラーデン様自身は乗り気じゃないって話だからなあ」

 そのことも知っているらしい。

「その理由はなんだと思いますか?」

 ロレンスが尋ねると、ラウドは酒のせいで目じりが赤くなった目をしょぼつかせてから、答えた。

「うーん……それは俺らも不思議に思ってるところなんだ。理屈から言ったら、司教になれるだなんて、村娘がある日王子様に見初められるようなもんだ。いろいろ苦労はあろうが、お妃さまの席を用意されたら、とりあえず話を受けるだろ?」

 ロレンスは思わず笑ってしまうが、例えとしては正しい気がする。

「まあ、司教様になるってなったら村をしばらく離れなきゃならない。やっぱり魚の養殖がうまくいってないからってのがあるんだろうな。村長さんたちは鹿の猟や加工で忙しいから、養殖業を復活させられるのは自分しかいないってことだろう」

 スルトは借金によって養殖業を復活させたいのかと尋ねた時、言葉を濁した。

 鹿の話がうまくいっている中、難しい養殖に資金や労力をつぎ込むのは正しくないと思っているのだ。

「それにあの池は、ラーデン様が故郷の理想の海を再現したくてって話だろ?」

「その話、やっぱりそうなんですか?」

 自分たちの推測に過ぎなかったので、ラウドの言葉に食いつく。

「そらそうだろう。すでに立派な池があるならまだしも、わざわざ穴掘ってまで作ったんだからな。泣ける話じゃないか。村長らも、儲けにはならないかもしれないが、力を貸してやればいいのに」

 ラウドはやや不満そうにそんなことを言うが、「あの脂ののった鱒はうまいしなあ」なんて呟いているので、そっちが本音だろう。

 ただ、その池と魚の養殖が理想の故郷の再現なのだとしても、うまく話が噛み合わないことがある気がした。

「一度は夢がかなったんですよね?」

「んん?」

 ラウドが聞き返してくる。

「サロニアの年代記にも残っているそうですが、一時は魚があふれるほど獲れて、サロニアの飢饉をも救ったとか」

「ああ、ああ、俺が鼻たれ小僧の頃の話だな。覚えてるよ。世界で一番うまい鱒だと思ったものさ」

 だとすればラーデンがなおも執着するのはなぜなのか。

「ちなみになんですけど、村長さんたちが池そのものを埋め立ててしまうかも、という話ではないんですよね?」

 留守の合間にへそくりの心配をするのは、外に働きに出る男たち共通の悩みだ。

 それに、ラウドはその可能性を聞くと、大笑いした。

「はっはっは、そんな馬鹿なことがあるかね! そもそも司教様が養殖を諦めたら、皮なめしのために今の池の水を使えるだろうしな。むしろ村長さんらは、ラーデン様が作り出した池を、村を二度も救ってくれる奇跡の泉だって信仰を深くするだろう!」

 それも言われたらそのとおりだった。ラーデンの理想の故郷の海とは違ってしまうが、村の人たちのために池が利用されることは間違いない。

 単に一年ほど村から離れ、司教になるための手続きを取る。それにラウドの話しぶりでは、スルトたちがラーデンの不在にかこつけ、皮なめしの作業場に変えてしまうような場面も想像できなかった。

 だとしたら、司教になって村へと戻って来て、それからまた魚の養殖の再起を手掛けることもできるはず。

 ロレンスが唸っていると、ラーデンは不意に顔を近づけてきて、酒臭い息を吐きながら、悪戯っぽく言った。

「俺たちはな、もしかしたらラーデン様が第二の夢を実現間近なんじゃないかって話してる」

「え?」

「ほら、ラーデン様の故郷の村では、海の底の宝石を獲るって話があっただろ」

「ありましたね。……え!? いや、ですがっ」

 そんな馬鹿なことがあり得るのかと思ったら、ラウドは肩を揺らして笑った。

「はっはっは。酒の場での冗談だよ。でも、そうじゃないと訳が分からん話だろ?」

「いや、不可解さはまさに、そうなんですけれど」

「ふふふ。町の商人でも、すでに何人か同じ内容を相談された者がいてね。皆、同じ疑問に行き当る。しかし今回はあのロレンスさんだからって、皆で話してるんだよ」

 そういうことか、とロレンスは納得する。

「今度はうまくいくかどうか、賭けてるんですね?」

 話しかけてきたのは、その賭けを優位に進めるための情報収集。

 ラウドは茶目っけたっぷりに、片眼をつむってみせた。

「ところで、その宝ってなんなのでしょう。私はあいにくと思い当たらなくて」

「ん?」

「北の海だと、嵐の後に琥珀が浜辺で拾えたりしますよね。あるいは……真珠でしょうか?」

 しかし琥珀は大物こそ見つかりにくいが、細かいものはほぼ確実に採集できる。真珠も滅多に取れないが、そもそも貝の副産物なので、三年も収穫できずに村が破綻するという話とはつじつまが合わない。貝の不漁ならありえるが、そういう感じではなかった。

「琥珀でも真珠でもないよ。なんていったっけな……この辺じゃ滅多に聞かないものでな。ええっと」

 ラウドは禿頭をぽこんと叩き、目を見開く。

「そうそう! 珊瑚だよ」

「珊瑚?」

「むかーし、珍しい細工物を扱う旅の商人が、貴族様の客相手に持ってきたのを見たことがある。赤い綺麗なもので、宝玉のようだった。銀細工にはめ込まれていたから珠の形状だったが、元は海に生える樹木のようらしい」

 海に生える樹木。確かに耳に掠めた程度の知識では、そんな印象だった。

 ロレンスはうまく形状を想像できないが、広い世の中なので、海の中に宝石の樹木が生えることもあるだろう。

「深い海の底に生えていて、到底潜って採ることはできないと聞いた。だから教会の紋章みたいな鉄の棒を組み合わせて、鉤爪のようなものを作る。それを縄に括り付け、海にドボン。それを引き上げて、またドボン。気の遠くなるような幸運頼みの仕事だ。しかもそのいわば樹木の幹が、珠に削りだせるくらい太くなきゃいけないってんで、なおのこと、運頼みなんだと」

「なるほど……」

 ロレンスは、まだまだ世の中には知らないことがあるものだと感心したが、ラウドには疲れたような笑みを向ける。

「まさかそんなものを池で再現できそうだ、なんて」

「夢はあるだろう?」

 確かにそのとおりだった。

「ま、理由はわからずじまいだ。ラーデン様も養殖以外の理由は口にしないんだからな」

 だとすると、自分が聞きに行っても無駄だろう、とロレンスは思う。

「なんにせよもしラーデン様が司教になるようだったら、一声かけてくれ。お近づきのしるしに、寄付ならしたいところだ」

 商売気で溢れんばかりの笑みを見せ、ラーデンは自分の席に戻っていく。

 その大きな体と暑苦しい雰囲気がなくなって、ほっとする一方で、胸にあった空虚さは徒労感に近い。

「ううーん……ますますわからなくなってしまったな……」

 ロレンスは腕を組み、ため息交じりに呟く。

 ラーデン本人が嫌がるなら無理強いをすることでもないが、外野からすると逃すにはあまりにもったいない話に見えるのだ。もちろんロレンスもラウド同様に、この件で力を貸せれば司教の知り合いが一人増える、という下心もある。

 また、ラーデンの動機とは打って変わって、スルトたちの行動がやや強引なことには、ロレンスも共感を抱いていた。

 スルトたち村人は、心底ラーデンに感謝している。だから今度は我々が恩を返す番、と思っているはずなのだから。

 特にラーデンは、教会の教えに刺激されてこの地にやって来たらしい。それなら、本物の聖職者になるという希望も当然あったはずで、これはまさに神のもたらしてくれた機会だと思うだろう。

 ただ、それまで人々を率いていた年老いた人物と、その人物を気遣う周囲の人々、という構図は、実はニョッヒラの湯屋でよく見る光景なのだった。

 親子二代の貴族がやって来て、父親のほうがほとんど歯も残っていない老境なのに、まだまだ若い者には負けん、というのが口癖だったりする。息子のほうも顔にしわが目立ち始める歳なのに、父が馬に乗って領地を巡回したり、複雑な領主裁判に連日連夜参加したりするとぼやいている。

 息子のほうは、もうゆっくり休んでほしいのに決して言うことを聞かない父親を、どうにか休ませるため、ほとんど引きずるようにしてニョッヒラに連れてくるのだ。

 そして大抵、父親のほうは引退すべきなのを頭では理解していたりする。

「ラーデンさんも、司教になるべきだと頭ではわかってると思うんだが……」

 ロレンスがそう呟くのと、向かい側の席でホロがジョッキを手にうつむいているのに気が付くのは同時だった。

「おい、大丈夫か?」

 ラウドが来た辺りからずいぶん静かだと思ったら、少し顔色が悪い。頬が幾分赤いものの、それ以外が妙に白い。ジョッキに二杯か三杯の麦酒なので、酒量としては多くないが、二日酔い明けというのが効いたのかもしれない。

 羊肉はまだ多少残っていたが、そもそもまだ肉が残っていることが、不調の証だ。包んでもらって、宿に戻ったほうがよさそうだった。

「ホロ、帰るぞ」

 目を閉じてうつらうつらしているホロの手からジョッキを取り上げ、給仕の赤毛の娘に勘定を渡し、ホロを背中に背負ってから、羊肉の包みを受け取った。



★2020年7月10日更新の『狼と宝石の海≪第四部≫』に続く。
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